死者0人の村


三陸海岸 普代村

太田名部漁港を襲った津波

今回の東日本大震災で海岸沿いの村にもかかわらず、死者0人、住宅浸水0、という村があるというニュースを見た。
1894年(明治29年)に起きた三陸地震の際、大津波で死者行方不明者1000人以上を出したことがある村だった。1933年(昭和8年)にも津波で沢山の死者を出している。当時19歳だった少年は、後に村の村長となり、独自に調査をし、水門と防波堤を作る計画を立てた。そして、1970年に高さ15,5mの防波堤と1984年に高さ15,5mの水門を完成させていた。
当時の住民は、必要性が定かでないものに莫大な予算がかかるのはどうかと、大反対をしたそうだが、村長は、住民の反対を押し切り、お願いをして工事に踏み切ったという。
その堤防に守られた住人たちは、皆口々に「亡き村長(和村幸得)さんに村と命を救われた」と感謝の言葉を口にする。

素晴らしい話ですね。水門や防波堤の位置や構造など、研究し復興に役立てることでしょう。

今の便利さを追求する時代はそろそろ終え、これからの地球環境を豊かにしながらいかに幸福に生きていくかを模索していこうと思う。

3月11日午後
4月9日、左の写真とほぼ同じ場所から撮った太田名部漁港。 (荻窪圭撮影)




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